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レンゲ日記


レンゲ日記のこえ

蝦夷松は、その名の通り日本では北海道にだけ自生するものであり、内地には自生は見られない。
ボンサイ界に登場したのは明治30年代頃と言われている。
当時の北海道は一般の通念では今日の感情からすれば、ヒマラヤか南米ほどにも精神的距離のあった地域である。
未知の世界からの優れた素質をもった素材の出現は、ボンサイ入の期欝と感動をもって迎えられたことと思われる。
は明治44年に北海道に渡り、各地の蝦夷松地帯を歩き、自生状態を調査し、ボンサイの素材を探したが、苦心にもかかわらず優秀な素材の入手は容易ではなかったと伝られている。
大正6年頃、国後から素材の採取の道が拓け、活況を呈した、と三国われる。
後に北海道長官の理解ある計らいもあり、地元の人にとっては有利な収入源ともなり、両者相まって葉材は豊富に供給され、特に大宮ボンサイ村は別名蝦夷松園とも言われる程、毎年現地に出張して買い付け、大量に供給し、培養、作品の創作に専念した。
国後の蝦夷松は北海の厳しい自然の中で(ツンドラ地帯)幾百年の歳月を経る中で、風雪 に倒壊したものが、自然の取木状となり、発根したものもあり素材としては願望通りのものも多かったと言われ、ときの逓信大臣はその魅力に感動し、数年にして蝦夷松だけで、その数は1万鉢と三目われるほどの蒐集家として、名を轟かせた。

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