ボンサイの世界でも「水やり三年」などという言葉があるが、盆樹の生命を維持するための最小限の基本作業でも、一人前になるにはそれだけの経験と工夫がいるということである。 だから、見る人を感嘆させるような名品を作り出す人達の技術は、何段階にもわたる基本過程に気の遠くなるような時間と労力を投入した集積によるものなのである。 しかもボンサイは生き物なのだから、その努力には終わりがない。 「道や遠し」である。 こうした観点からわがボンサイ歴を振り返ってみると、「守・破・離」の逆コースを辿っていることを思い知らされる。 例えば「根張り・立ち上がり・幹筋・枝分かれ・葉作り」というボンサイ作りの基本過程についても、どこかに技術的な手抜かりがあって、その対応が後手に回ってしまう。 これが年数はたっていても風格に乏しい、締まりのない作品になってしまう所以である。 ボンサイ技術のプロとアマの差はここにあったのだと、今さら分かってみても詮無いことだが、永年手塩にかけ愛着に満ちた駄物ボンサイたちに囲まれて、道楽を満喫している毎日である。 |