中世まで、クジャクはヨーロッパでもっとも高価な鳥であり、国王や富裕な貴族だけが飼うことができた。 そして、かれらは繁殖用の一つがいを買うのに一財産を支払ったのである。 けれども、つがいで買えば損をすることはなかった。 なぜなら、クジャクは狭いおりのなかにさえ入れなければ、たやすく繁殖したからである。 そして、ひなは高く売れたし、また珍重される羽を得るために飼育することもできた。 輝くような「目」の紋様のある尾の羽は、一本一本で売られるほど値うちのあるものであった。 ギリシア入は、この鳥を"天界の女王"ヘラにささげ、そしてサモス島にあるこの女神の神殿のまわりにたくさんのクジャクを飼育していた。 アテネ入は、かつてクジャク一羽に対して一万ドラクマ[ドラクマは古代ギリシアの銀貨]近くも支払わなければならなかった。 いっぽう、りっぱなおんどりは、たった五ドラクマから一〇ドラクマのあいだであった。 アレクサンドロス[アレキサンダー]大王は、インドでの戦役でこの高貴な鳥を知って、その国の法律を尊重するというかれの政策にもとづき、白分の兵士たちにクジャクを殺すことを禁じた。 ローマ人が、クジャクの肉に対する嗜好をつちかった最初の人間であろう。 ローマの"新輿成金たち"は、郊外の私有地でクジャクを繁殖させた。 かれらは、ちょうどフラミンゴ、ツルやキジでおこなったようにクジャクを太らせ、そしてその舌や肝臓を異国風のごちそうのメニューに加えたのである。 こうして、クジャクはうつろな虚栄とぜいたくの象徴となった。 偉大なキケロはもちろんのこと、ローマの風刺家や弁士たちは、宴会にクジャクの肉を出し、自分をその羽で飾るみえっばりの人びとに対し、鋭い皮肉をあびせていた。 |