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鉢植日記のいぬびわ


鉢植日記のいぬびわ

ニワトリは、紀元前二〇〇〇年代に人から入の手にわたり、極東から西方へとだんだんに連れてガチョウの羽をむしって裸にし、粘土製のつぼに入れてむし焼きにするための準備をしている。
テーベで発見された紀元前二〇〇〇年代のエジプトの絵画よりこられたものと思われる。
ジャワからヒマラヤ山脈までの全域に生息しているバンキヴァ野鶏は、ニワトリの多くの品種の先祖であり、これらのニワトリはバンキヴァ野鶏といろいろな地域のキジ類とのあいだで、たいそう早くから交配してつくりだされたものである。
さて、ニワトリはずばぬけた長所をもっているにもかかわらず、古くは主な家禽とは見なされず、また家畜化された最初の鳥でもなかった。
ペルシアからエジプトにニワトリが持ちこまれたころ、エジプトではすでにガチョウや鳩がたくさん飼われていた。
それでも、エジプト入はすぐにニワトリの長所をみとめて、かれらの絵文字のなかにニワトリの象形文字を取り入れたのである。
「まいにち卵を生む鳥」は、多産の概念を意味し、のちには、母音の"u"を表すことになった。
いっぽう、ガチヨウの表意文字は"son"という言葉で表された。
もっとくわしくいうと、この言葉は両親に対して尊敬と愛情をもうた従順な就畢を意味している。
このことから、エジプト人はガチョウをはっきりと同族意識で見ていたと藩論づけることができる。
エジプト入は、ガチョウを卵よりもむしろ食肉用に飼っていたが、一般に家禽の飼育技術は商度に発遠していた。
卵をかえすのは、めんどりにはまかせないで、一度に数千個の卵を収容できる完備した孵僻器のなかでおこなわれた。
チ笛プを通して、孵化器のすみずみまでくまなく熱が送られた。

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