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秋のみのり


これ秋のはな

明治二十三年類戸の三ツ組の水盤を焼いたのが最初で、明治末から大正初期にかけて磁器に自、翻璃、均窯等の紬がけをした作品を出した。
形は丸・長方・楕円と多彩であった。
以前には古い水盤の割合いに数を見ることができたせいで割安であったが,ここ七・八年ですっかり影を見なくなって、価狢も高くなってしまった。
時代の乗りにくい磁器であるがすっかり黒うんで、飾る草のp時の過ぎ行年から十三年の五年間郷里の三河で町営の試験場の窯を講負い、支那鉢の交跡穂を再現するべく焼いたのが戦菌の一陽鉢である。
東福寺が広東紬の再現を圓ざしたことといい、一陽が交祉触を目ざしたことといい、自分の心を打ちまた人の心を打った名品の、あるいは名秘の彷製すなわち写しに真剣に取り縄んだ結果ではなかろうか。
この鉢は蔵者が昭和三十年代に小さな公民鰔で盛んに行われていた渡伸の交換会に、束福寺や一陽を求めて繁く出入していた頃のなつかしい鉢である。

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