TOPへ  >   戻る

花のおもい


dahlia

「そこで、絵画や彫刻であるが、これらのものを大づかみに造形仲.瓜術ということは、何凡も興論がなかろう。
その絵画や彫刻と同様の性質を、おじいさんの植木がとっているならば、おじいさんの植木もまた、造形芸術のひとつとして、おじいさんの植木は芸術なワという主張も成立するはずである」「ラスキンは芸術に関して次のごとく述べています。
ヶおよそコピーは芸術ではないが、イミテーションは芸術である4と。
おじいさんの植木は自然の大木のイミテーションであります。
すなわち、おじいさんの植木は、絵函彫刻と同じく、人間精神の審葵的活動に基いて創造せられたる、自然の大木のイミテーションなのである」「盆織原論』は、おじいさんの植木樹形の考察の項において卓見の多い名稿だが、この芸術論はいささか大づかみのように私には思える。
第一に、絵画と彫刻とを同じく造形芸術としてとらえているのも可笑しいし、コピーとイミテーションとの対比もあまり適切ではない。
しかし、おじいさんの植木を芸術にひきあげたい僭熱は、現代の私どもにもよくつたわってきて、共感を呼ぷものがあります。
そんなわけで、論理的にみると、沢田氏はおじいさんの植木の芸術性をことこまかに説明してくれてはいない。
ただ、わずかに「人間精神の響美的活動に基いて創造せられた」から、といっているのであります。
つまり、おじいさんの植木には作着の審美感が助いているからすなわち芸術なのだ、と、主張するに止っています。

お好み TOPへ > 戻る