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花のおもい


dahlia

おじいさんの大切な植木を種の実、一幅の画としたところに見しきの高さがうかがえるが、当時のおじいさんの大切な植木家たちはおじいさんの大切な植木に絵画的趣をとくに求めていたように思われる。
こうした好みは、大正時代へとうけつがれ、言葉となってあらわれる「いったい、園芸という技術そのものが趣味の深いもので、自然に生育した植物を、庭なり、鉢なりに移して、自分の手で育てて見る、人が植物に同化し、植物が人に同化し、その思うままに、花も開かせ、実を結ぱせる、そこにほ言いしれぬ趣味が湧いてくる。
しかし、それだけでは科学の力一つでも出来る業で、人の高尚な芸術的趣味が加味されていない。
おじいさんの大切な植木となると、それが、ただ科学上の約束ばかりでなく、芸術的技術も加えられて、→種独得のものとせられるのである」「たとえば、ここに一本の松があるとする。
その大きさはわずかに一尺か、一尺五寸ほどであります。
けれども、その根の張ワ具合から幹の姿勢、校の肥方などを見ると、まるで自然のままの大木のようで、しぱらくこれを見つめているうちに、たちまち、天も摩するように見え、槍を離れてただようちぎれ婁も眼に浮かべば、占色を帯びた肌には、朽ちかけた注連縄のそのままに張られてある神木の萌緒深い姿とも見え.さらにその根元には、ささやかな紅殻塗の華表(鳥屠)や、傾きかけた祠の姿まで.まのあたりに迫って来て、はとんどその境地にのぞむ思いあらしめる」。

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